ご支援を賜ってきた博仁会の歩み

寛仁親王殿下

 「ひげの殿下」として広く人々に親しまれた寛仁親王殿下は、三笠宮崇仁親王と同百合子妃のご長男であらせられます。

 寛仁親王殿下には、昭和49年の法人15周年記念式典以降、節目にあたる式典や創設者偲ぶ会などにご光臨を賜り、数々の励ましのお言葉やご協力を頂戴してまいりました。それというのも、当会創設者齊藤邦雄が殿下からご信頼をいただいた経緯があるからです。博仁会の第3代理事長であった迫水久常氏、また当会理事、顧問としてご助力を頂いたクリストファー・マクドナルド氏が、殿下のご厚誼を賜る端緒をくださったと聞いていますが、創設者があつい思いを向けていた社会福祉という分野が、寛仁親王殿下という尊いご支援の方を知るよしみとなりました。

 『障害者福祉と老人福祉に邁進していた二人の福祉哲学が、永年、我が国福祉界に根強くはびこっていた、「与えること」「同情すること」ではなく、「Give & Take」であるべき事と、「自立を促し共に生きる」であったことが、二人を深く引きつけた』と当会の記念誌の中で述べておられます。そして、殿下のご生涯で身をもって示された、好奇心、探求心をもっての負けずの生き方が、創設者にも共通してあったことから、福祉活動の右腕として齊藤を大切に思っていただいたということも記されています。このことが、老人福祉専一の博仁会への異例の9回ものお出ましや、創設者逝去の折りにご弔問を戴いたことのよりどころとなっていると思います。創設者夫妻亡き後は、私どもにも変わらぬ暖かいご支援をくださいました。殿下御邸に伺って個人的に親しくお話をする機会にも恵まれ、人間味あふれる優しいお人柄に直に触れさせて頂けたことは有り難いことでした。平成20年の法人創立50周年にご光臨を賜った際、いつものように、博仁会はすばらしい老人ホームで、リーディングカンパニーであるとお褒めを頂くのに恐縮して、創設者存命中の往事のようではないのですと申し上げたところ、豪華な施設はあまたあるが、見かけではなく、齊藤邦雄氏の遺した「真心のこもった」施設が一番なのだと仰って下さったことは忘れることが出来ません。

 寛仁親王殿下は、平成24年66日、薨去あそばされました。

 誠に残念の極みであり、博仁会では、心からの哀悼の誠を捧げ、これまでのご恩に対して深い感謝を申し上げました。

 多くの人に慕われた寛仁親王殿下。日本の国民にとって大切な方を失うことになりました。博仁会は、殿下が遺して下さったお言葉を胸に、気概をもって福祉の道を歩んでいこうと誓いました。

迫水理事長と語り合われる寛仁親王殿下(昭和49年青梅新設移転・法人創立15周年式典の折)

迫 水 久 常 氏

 かつての大戦に日本が敗戦する終局において、鈴木貫太郎内閣の内閣書記官長として活躍され、玉音放送となる昭和天皇の詔書の起草に携わった著名な歴史上の方が、我が博仁会の第三代の理事長でした。

 迫水久常氏は、日本の運命を決める昭和20年の終戦への混迷を極める難局のとき、総理大臣の側近として終結工作に奔走され、またポツダム宣言受諾に係る詔書(終戦詔書)を起案したことでも知られる有名な方です。「日本のいちばん長い日」という映画(1967年、2015年制作)にはいずれも実名で登場するので、往事の先生の活躍が偲ばれます。海軍大将で昭和9年から内閣総理大臣を務めた岡田啓介氏の秘書官であった迫水先生は、有名な昭和11年の二・二六事件に際し、同僚の人々と協力して、襲撃された首相官邸から岡田首相を救出したという来歴もあり、このことを「機関銃下の首相官邸」という本に著したほか、様々な回想録や資料をもって遺されています。

 昭和34年に東京都足立区にて創設された博仁会が、理念の達成にむけて槌音高く老人福祉の拡充を目指していた昭和38年に、当会理事にご参加頂き、昭和46年には理事長として就任、同49年の愛仁ホームの青梅市への全面移転において多大な貢献をして頂きましたが、誠に残念なことに昭和57年7月、病のため急逝されました。

 迫水先生の奥様は、岡田啓介首相の二女で、万亀(まき)様でいらっしゃいます。迫水先生亡きあとは、万亀先生に、博仁会の理事、名誉会長として長らくお力添えを頂戴しました。

 迫水久常先生の温厚な中にも威厳のあるお話、万亀先生の思わず溶け込まれるようなお人柄。激動の歴史を生きた貴重な経験が織りなすお二方の励ましに支えられ、博仁会の思いやりの理念は今日も生きております。

クリストファー・マクドナルド 氏

 クリストファー・マグドナルド氏は、日本におけるサッカーの隆盛に貢献されたイギリスの実業家で、有名な時計の「ロレックス」の社長(日本ロレックス)、会長を務められた社会的に誠に著名な方でいらっしゃいますが、博仁会では、親しく「マックさん」と呼ばせて頂いております。それは、私ども施設のお年寄りや職員に対し、本当の家族のように接してくださったマックさんへの信頼と感謝の気持ちでもあります。

 昭和25年に来日されたマックさんがNCRという会社にお勤めになり、その会社のお仲間と共に、足立区にあった施設「愛仁ホーム」にお年寄りを慰問に見えたのは、博仁会が生まれた昭和34年9月のわずか3ヶ月後の12月でありました。当時の施設には灰皿などが無く、喫煙が火事につながるといった事例も多かったことから、灰皿の寄贈というのがご慰問のきっかけでした。足立区とはいえ、交通の不便な田園の中の施設でしたが、入居のお年寄りと親しみ、施設長であった創設者の齊藤邦雄と意気投合したマックさんは、翌年からクリスマスにプレゼントを持ってきてくださる素敵なサンタクロースとなりました。それから、40年という永きにわたり、暖かなマックさんのご好意は続きました。マックさんとそのご一家が中心となってのご慰問は、博仁会の歩みそのものでもあり、博仁会のお年寄り、職員はいろいろと励まされてまいりました。また、マックさんには、理事、顧問として博仁会の運営にも携わっていただき、創設者の齊藤邦雄、前理事長齊藤節子の代、その後も大変お世話になり、そのご恩はとても大きなものでありました。

 マックさんは、平成23年に病のため他界されました。マックさんからいただいた暖かい愛の心は決して忘れずに、博仁会は皆で力を合わせて歩んで行きたいと思っております。

法人創立50周年記念式典・中央総合棟竣工式

平成20年10月15日

 昭和34年秋、東京都足立区で誕生してから、50年の歳月を数えることになった博仁会では、本年完成した中央総合棟の竣工と併せ、去る平成201015日に記念の式典を挙行致しました。 秋晴れの天候に恵まれた当日は、有り難くも寛仁親王殿下の式典へのご光臨を賜り、また、日頃お世話になっている方々の多数のご列席をいただき、午前11時より式典、午後12時半より祝宴を執り行いました。

 寛仁親王殿下には、昭和49年の15周年以来、博仁会の節目、節目の式典に常に御光臨を賜り、数々のご指導をいただいてまいりました。法人本部へのご来駕は、創設者を偲ぶ会以降13年目となるわけですが、予定通りの午前10時半に、中央総合棟正面玄関前に殿下をお迎えしました。殿下は、本年5月の喉の手術後、ご発声が困難となられましたが、式典では、人工喉頭を使われて約10分余にわたってお言葉を賜りました。法人50周年へのお祝いと共に、創設者の齊藤邦雄の老人福祉への取り組みに対してご信頼いただいた経緯、北海道の高江恒夫氏(故人)と、式典の来賓でもある沖縄の山城永盛氏との連携などについてお話くださり、博仁会への期待と激励のお言葉を頂戴致し、一同大変感激致しました。

殿下よりお言葉を賜る

  そして、青梅市長竹内俊夫様、沖縄コロニー名誉理事長山城永盛様、東京リハビリ協会理事斎藤公生様の各氏から、それぞれ心温まるお祝辞を頂戴しました。

 中央総合棟の竣工に関して、横川理事より経過説明の後、設計者・総合建築設計センター社長水村昭典氏、建築者・五光建設社長中原誠一郎氏をご紹介し、改築工事完了への感謝を申し上げました。

 式典後、寛仁親王殿下は、改築棟館内を廻られ、入居のお年寄り式典後、寛仁親王殿下は、改築棟館内を廻られ、入居のお年寄りに親しくお話をされました。庭園で梅の木の記念植樹を賜り、次いで博仁会創設者齊藤邦雄の胸像前にお立ち寄り下さいました。胸像の台座には、殿下御直筆による創設者の銘が刻まれております。殿下は、午後12時半お発ちになりました。

マクドナルド氏の挨拶

鏡割り

野田由季さんのピアノ演奏

 当法人の佐藤正春理事の開宴の辞に始まった祝宴では、クリス・マクドナルド法人顧問も挨拶に立ち、青梅市社会福祉協議会長吉川博千氏、東京都社会福祉協議会事務局長野村寛氏、同じく総務部長宮沢成実氏、元博仁会名誉会長の故迫水万亀氏二男迫水朗生氏、に理事長が加わっての鏡開きの後、法人顧問弁護士小嶋豊郎氏の音頭での乾杯をし、なごやかに進行致しました。宴の中では、ピアニスト野田由季氏の華麗な演奏があり、皆を魅了しました。50周年の祝宴にふさわしく、楽しいひとときでありました。午後1時半、奥田豊治理事の音頭による青梅七つ締めでめでたく閉宴と致しました。

  長く博仁会を支えてくださっている方々にご参集を戴き、すばらしい式典となりましたことを心から感謝申し上げます。当会創設者齊藤邦雄、節子夫妻への皆様のあたたかい思いをしっかりと胸に留め、これからも博仁会が皆様方から愛されるように進めていきたいと思います。更なるご支援を心からお願い申し上げます。

 

  この度、寛仁親王殿下にお成りいただきましたこと、改めて深くお礼を申し上げ、ここに式典にて賜ったお言葉の要旨を掲げさせていただきます。

 

・当初殿下が携わられた福祉の会の分野は身体障害者・心身障害者福祉であったので、老人福祉分野で教えてもらうこととなったが、ユニークな試みをしていた齊藤邦雄理事長とはよく話が合った。

・博仁会創設者齊藤邦雄氏、(社福)北海道光生舎の高江常男氏(2007727日逝去)と(社福)沖縄コロニー名誉理事長の山城永盛氏の3名は、共に結核よりの回復者であり、日本を縦断する連帯感をもって、姉妹施設として、日本の福祉会をまとめてきたというすばらしい方々であった。身体障害・心身障害の(殿下の)福祉の会でも、この3人の大きな影響を受けた。

・博仁会は、クリス・マグドナルド氏を理事として迎え、氏が法人運営に携わるという他には例のない国際的ともいうべき珍しい施設である。氏は、灰皿クラブというボランティアで、クリスマスには毎年博仁会を訪れるということを長く続けられたが、(殿下と)マクドナルド氏と二人して、齊藤邦雄理事長のために博仁会の側面的援助をしてきたものである。

・博仁会に来て嬉しかったことは、齊藤邦雄氏の工夫により、当時職員が若かったことと、また(殿下ご自身の)持論である「高齢者は若者に学び、若者は高齢者に学ぶ」ということそのままに、お年寄りがマイケルジャクソンの曲を歌って、芸能コンクールで特別賞をとるというすばらしい合唱団をつくった。

・まだ他の施設ではトレーナーというものを着て一日を過ごすところを、博仁会では、寝間着から普通の服装に、外出するときは外出着に着替えるということをして、すでに朝・昼・晩という1日の生活にメリハリを付けていた。友愛十字会では早速それを取り入れた。

・齊藤邦雄氏は、様々なすばらしいアイデアを我が国の老人福祉の問題になげかけてくれたもので、我々後をついて行く者の、齊藤さんは先を歩いていた。

・今回は、ゴールデンジュビリーということですが、75年のダイヤモンドジュビリーを迎えられるよう、益々の発展が続くことを祈ります。